ここにあるセリフは全て、SEED29話における、ギルとクルーゼの言葉を載せたものです。
とにかく二人の言葉の一つ一つが重くて、どうしても全てが知りたかった、という訳です。
尚、この回に多用された回想シーンは、必要最小限の説明のみに留めております。御了承下さい。
ギルバート・デュランダル・・・赤
ラウ・ル・クルーゼ・・・青
彼らが何時、何処で、何故出会ってしまったのか、私は知らない・・・。
始めはギルの言葉から。この言葉を皮切りに、
キラとラクスがAAで出会った時の回想が流れます。
ラクス・クラインは当時のプラント最高評議会議長シーゲル・クラインの娘にして
パトリック・ザラの息子、アスラン・ザラの定められた相手。
それが何故、彼と出会ってしまったのか・・・。
結構パトリックが最初から議長だと思っている人がいるようです。
(自分もSEEDが終わったばかりの頃はそう思ってました)
物語冒頭の最高評議会議長はシーゲル。
パトリックが議長になったのは4月1日、本編が始まり2ヶ月程経った頃のことです。
ここではフレイの父、ジョージ・アルスターが死亡した時の回想。
さらにはフレイによるキラに対する罵倒と、
キラによるザフト軍(アスラン)へのラクス返還へとシーンはつながれていきます。
それでも魂が引き合う、定められた者たち。定められた物事。
全てをそういってしまうなら、では我らがあがきながらも
生きるその意味は?
運命を信じない。信じたくは無い。
それはギルが、常に思う事。
そして在りし日のクルーゼとの会話を思い出します。
全てのものは生まれ、やがて死んでいく。
ただそれだけの事だ。フッ。
だから何を望もうが、願おうが、無意味だと?
いやいやそうではない。
ただそれが我らの愛しきこの世界。
そして人という生き物だと言うことさ。
どれだけどう生きようとも。
誰もが知っている事だが忘れている事。
だが私だけは忘れない。決してそれを忘れない。
こんな私の生に価値があるとしたら、
知ったときから片時も、
それを忘れた事が無いと言う事だけだろうがね。(高笑い)
アニメだけで聞くと解りづらいですが、
結局のところクルーゼは、全てのものは生まれ死んでいくことを忘れない、と言っています。
回りくどい言い方ですが、それだけに重いですよね。
だが君とて生きたのだ。
まるで何かに抗うかのように、求めるかのように。
願いは叶わぬと知ったとき、我らはどうすればいい?
それが定めと知ったときに。
クルーゼは何を望んだのか。何故必死に生きたのか。ギルは薬を渡した時のことを思い出します。
全てのものが生まれ死んでいく世界。クルーゼにとっては解りきっていることなのに。
そしてここではアスランとキラの再会、そして命をかけて戦う前作30話の回想。
同時に、今まで幾度と無く多用された、トール、ニコル両名の死亡シーンが再び使用されます。
それは運命だったのか。変えられぬ定めだったのか。問いかけるように。
そんな事は私は知らない。私は私の事しか知りはしない。
迷路の中を行くようなものさ。
道は常に幾つも前にあり、我らは選び、ただ辿る。
君達はその先に願ったものがあると信じて。
そして私は、やはり無いのだとまた知るために。
ここで幼いレイの頭をなでる若いクルーゼ。彼の優しさが描かれる数少ないシーン。
そんな事私は知らない〜、と言うくだりは、
前作50話、クルーゼの、所詮人は己の知ることしか知らん、とリンクしています。
また、やはり無いのだと〜、と言うくだりは
まるでクルーゼが、もともとは何かを願っていた、と言う証明のように思うのです。
そしてここで初めて、ギルとタリアが昔付き合っていたと言うシーンが流れます。
しかしそれは別れのシーン。
子供がほしいと、だからプラントのルールに従うとタリアは主張します。
誰が決めたと言うのだろう、何を・・・。
ここでキラが、クライン低において再び戦うことを決意する回想シーン(書き下ろしように思いましたが気のせいでしょうか?)、
そしてタリアとギルが別れの握手をする新規カットへとつながります。二人の表情が切ない・・・!
仕方が無かった。
ではそれは本当に選んだことか?
選んだのは本当に自分か?
それは、ただひたすらに後悔するギルの心情。
同時に独房らしき場所にいる幼いレイが描かれていました。
ここではアスランとラクスがコンサート会場で再会する回想シーンが流れます。
アスランは結局、自分の意思で決めることはせず、
周りの強い意思に流されて来たかのようにも思います。
実はキラとは対照的な存在として描かれているみたいです。
選びえなかった道の先にこそ、本当に望んだ物があったのではないか?
そうして考えている間に時間は無くなるぞ?
選ばなかった道など無かったと同じ。
もしもあの時、もしもあの時・・・。
いくら振り返ってみても、もう戻れはしない。
何も変えることなど出来ない。
我らは常に、見えぬ未来へと進むしかないのだ。
描かれるオーブの最後。カガリとシンの辛い過去。戻れない過去。
クルーゼの言うことはまさに残酷な真実。
しかしまた、前を見て歩けと言っているようにも解釈できます。
ここで前作重要なシーンであったコロニーメンデルの回想。
現在(いま)ではない何時か。
此処ではない何処か。
きっとそこにはある素晴しいもの。
それを求めて永劫に血の道を行くのだろう?君達は。
不幸な事だな。
救いは無いと?
救いとは何だ?
望むものが全て、願った事が全て叶うことか?
こんなはずでは無かったと、だから時よ戻れと祈りが届くことか?
だから次は間違えぬと確かに言えるのか?君は。
誰が決めたと言うのだ、何を・・・。
それを求めて〜、では前作50話、クルーゼとキラ最後の戦い。
まるで今回のキラの戦いの参入を皮肉っているかのような使い方。
彼らは、そこにあるはずの「素晴しいもの」を求め、戦っていく。
さらにキラ、アスラン、シンが自分にとって大切なもの、
守りたいものを失っていく光景が回想として描かれます。
誰が決めた〜、は少し前のギルと同じ言葉。
どちらも定め(ひいては運命)を信じたくは無いようです。
救いとは〜、に込められた言葉の重さ。
これでもかと言う風に、クルーゼの言葉は重いです。
ならば私が変える。全てを。
戻れぬと言うのなら、始めから正しい道に。
アデニン、グアニン、チトシン、チミン。
己の出来る事、己のすべき事。
それは自身が、一番良く知っているのだから・・・。
アデニン、グアニン、チトシン、チミンとは
DNA用語でヌクレオチドの“塩基”と呼ばれるものらしいです。
(自分にDNAの知識はほとんどありません)
DNAを構成する一部分ですが興味のある方は自主的に調べて下さいな。
そしてギルの目的。
上記の言葉をそのまま受け取るなら、
自らの手であるべき未来を創り出す事、と言うことでしょうか。
全ては愛するタリアを手放してしまった時の後悔から。
最後の笑みは気になりますが。
対してクルーゼは。
今回、この言葉を記して思ったのですが、
彼は救いが欲しかったのかな、と。
自らが、寿命の短いクローンであるが故に、常に未来を望んでいた。
「そして私は、やはり無いのだとまた知るために」
やはりそれは自らの願いが届くことを望み、叶わなかった(または叶いはしないと諦めた)のかな、と。
だからこそ、
「これが運命さ!!知りながらもつき進んだ道だろう!?
正義と信じ、分からぬと逃げ、知らず、聞かず!
その果ての終局だ!もはや止める術などない!!
そして滅ぶ…人は…滅ぶべくしてな!!」
「この憎しみの瞳と、心と、引き金を引く指しか持たぬ者達の世界で何を信じる!何故信じる!!」
「まだ苦しみたいか!いつかは…やがていつかはと!
そんな甘い毒に踊らされ、一体どれ程の時間を闘い続けてきた!?
人が数多もつ予言の日だ!!
それだけの業を重ねてきたのは誰だ!?」・・・50話より引用
全てを滅ぼそうとしたのかなと、少なくとも私は思うのです。
絶望に生きた彼。彼にとって、
最高のコ−ディネーターであり(クルーゼが見捨てた)世界を信じた(守ろうとした)キラは、
どのような存在だったのでしょうか・・・。
結局まとまっていないような気もしますが、(汗)
ここまで読んでくださった方、長々と失礼いたしました。
皆様にとって何か参考になれば幸いです。